百人一首60 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立

百人一首(Wikipediaより)

今日は打って変わって、女流歌人の一首を。小式部内侍は本人も優れた歌人ながら、母の和泉式部が著名な歌人として平安貴族の中で知れ渡っていました。そんな二世歌人ならではの機転の利いた一首です。
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立
小式部内侍


内容
この歌の内容に入る前に、当時の歌壇について説明します。短歌というと、現代では即興で考えるのうなイメージが強いですが、平安時代の場合、サロンのような場所で各自が宿題として考えてきた歌を披露しあう場所でした。だから、即興で素晴らしい歌が披露されると、人々は賞賛したのです。この歌も、そんな即興で出来た一首です。
小式部内侍の母親は当時一番の歌人と評判の和泉式部でした。そのため、小式部内侍の歌も実は影で母親が代作してるのではないか、と陰口を言う人もいました。そして、遂には本人に直接問いただす人が現れました。和泉式部は夫の仕事の関係で丹後(今の京都北部)に住んでいました。なので、「お母さんから代作の歌はもう届きましたか?」といったいやらしい質問をした男がいたのです。この一首は、そんな根も葉もない批判に対する痛烈な返答です。
内容をそのまま現代語訳すると、「平安京の端にある大江山に行くのさえ遠いのに、天橋立のある丹後まで行ったことなどありませんし、手紙も届いておりません」といった内容になります。

技法
この一首には二つの掛詞があります。まず、「行く野」と「生野」です。生野は大江山を越えて、丹後へ行く途中の地名です。もう一つは「踏みもみず」と「文も見ず」です。「ふみもみず」という一語で言ったこともないし、手紙も見ていないという二つの否定の意味を持たせています。
また、この歌の地名を通してみると、大江山から生野、天橋立と見事に丹後へ行く道すがらの地名が並んでいます。
何より、一見すると天橋立まで出掛ける「Out」を表現した歌のように見せて、実は丹後から平安京までの手紙についての「In」をテーマにした歌だというところが僕な好きなポイントです。自分の表現したい内容と反対の表現を上手く駆使しているうえに、何より、これを即興でやり返したというのが素晴らしいと感じています。
なお、嫌みを言った藤原定頼は、この後すごすご逃げ帰ったそうです。そんな定頼も百人一首に採用されてる優れた歌人なんですけどね。

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