百人一首42 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは

百人一首(Wikipediaより)
そろそろ皆さんに飽きられたかな?と思いつつ今日の一首。清少納言の父、清原元輔の一首です。東日本大震災で一時期話題になったので、ご存知の方もいるかもしれません。
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
清原元輔


内容
この歌は清原元輔が女性にふられた男性の代わりに作った一首です。今で言えばゴーストライターですね。
末の松山とは宮城県にある地名です。末の松山を波が越えないというのは、お互いの気持ちが揺れ動かないということを表しています。「固く袖を絞りつつ」というのは、恋人とお互い泣いて袖を濡らしながら約束したということを表し、2人の仲が非常に固かったかことを象徴しています。まぁ、しかしながら、降られてしまったので、「契りきな」と過去に約束したってことを回送しています。

自然災害と歴史
宮城県の地名に波と言うことでピンと来る方も多いと思います。清原元輔の活躍した時代の半世紀前に貞観地震という大きな地震と津波があり、多数の死者を出しました。その時、末の松山には津波が来なかったということで、和歌の枕詞で使われるようになりました。東日本大震災でも、津波の到達地点を確認すると、旧街道や古い神社などには到達しなかったらしいです。
歴史というと人間の活動に主眼がおかれがちですが、自然災害もまた人々の生活に大きな影響を与えました。有名なところではポンペイのピナトゥボ火山が上げられます。国内では天明年間に起きた浅間山の大噴火なとは多くの影響が見られました。舞い上がった火山灰が日光を遮り、東日本に大飢饉をもたらしました。また、この時期は世界中で大規模な噴火が相次ぎ、世界的に寒冷な気候となりました。結果、フランスでは小麦価格が高騰しパンが食べれない市民が多く出ました。パンを食べられなければ、お菓子を食べるわけにもいかず、フランス革命へと繋がりました。

自然災害と易姓革命
古来より東洋では自然災害は悪政によって引き起こされるものだという認識があり、大きな地震などが起きると政情不安にも繋がって居ました。
たとえば、幕末期は伊賀上野地震、安政大地震(東海)、豊予海峡大地震、安政江戸大地震と大規模な震災が続きました。
太平洋戦争末期には、昭和東南海地震、南海地震、鳥取地震、三河地震と大規模な震災が続いています。
人間の政治と自然災害。一見、関係無いように思えますが、果たして統計学的にみて何かしらの相関関係が出てくるのか、識者の研究を待ちたいところです。

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