百人一首11 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟

百人一首(Wikipediaより)
昨日の藤原忠通の「わたの原」つながりで、同じ「わたの原」から始まる一首です。作者の小野篁は数々の伝説を持ちすぎる素晴らしい男です。歴史好きやマンガ好きには結構有名な人物かと思いますが、世間ではそうではないですよね。小野小町の祖父というとこの一首は彼の人生に照らしあわせると非常に味わい深いです。

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟
参議篁



内容
この歌は彼の経歴を知る度に印象が変わる面白い歌です。単純に現代語訳すると「オレは今から数多の島々が待っている大海原へ漕ぎ出すぞ!そこに居る釣り舟よ、都の連中に宜しく言っておいてくれ」という旅立ちの歌です。さて、彼はどこに旅立ったのでしょうか。
834年に小野篁は遣唐使に任命されました。所が一度目と二度目は残念ながら渡航に失敗し、唐にたどり着けませんでした。さて、三度目の正直で今度こそ唐に向けて出発です。と、いうときに歌われた歌だと思うと、とてと勇ましい歌に思えます。今度こそはという意気込みに溢れた感じです。
ですが、実際には違いました。なんと、三度目の遣唐使では同僚と大喧嘩し、遣唐使を罷免されてしまいます。それどころか、軽率な行動が天皇の怒りにふれ隠岐に流刑となりました。つまり、この歌は遣唐使として唐に行くつもりが、うっかり失敗して隠岐に流される途中に歌ったものなのです。現代風にいうとシリコンバレーで最先端のプロジェクトにアサインされる予定が酔っ払ってケンカしたのが上司にバレて人材開発室とかいう窓の無い職場に左遷された感じですかね。
そう思うと、今度はすごく強がってる歌に思えてきます。ただ、小野篁の人生を見ると、強がりではなく隠岐の生活を楽しもうとしてるんじゃないかとも思えてきますが。
ちなみに、この小野篁さん夜な夜な地獄に行っては閻魔大王の裁判の手続きをしてたとか、してないとか。

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