「名前」から世界を見てみる

先日、「沖縄の基地問題は『沖縄』という名前が使われているうちは良いが、これが『琉球』といわれだすと問題の深刻さが一段階進むかもしれない」といったような事を酒の席で話したら、なんだか妙に納得してもらえたので、国や地域の「名前」から世界を見てみました。




まず、「沖縄」と「琉球」という言葉についてです。沖縄県は明治に入ってから日本の都道府県に編入されており、それまでは「琉球王国」という国でした。琉球が日本に統合された際に、なぜ琉球県ではなく沖縄県になったのでしょうか。この「沖縄」という地名がいつ頃から使われてきたか正確にはわかっていません。ただ、少なくとも日本において行政文書が記録されるようになって以降は内地からは「おきなわ」という言葉で呼ばれていたのは間違いありません(ここでは沖縄の視点が大切なので、歴史的な日本国について「内地」と表現します)。つまり、「沖縄」という名前は琉球語(うちなーぐち)ではなく、内地の人間が日本語で呼んでいた名称です。

一方で、「琉球」もまた正確な由来はわかっていないものの、中国からの冊封の中で定められた名称と考えられています。なので、19世紀半ばの琉球王国が日本に併合される直前の段階において、琉球の人々は自分たちの国を「琉球」と認識しており、一方で外国である日本からは「沖縄」と呼ばれていたということになります。

なので、沖縄県民が日本語の「沖縄」という言葉を用いて自分たちのことを定義している間は、沖縄と政府との間で摩擦が起きたとしても、それはあくまで日本国内の地域的な問題としてとらえることが出来ると考えています。これが、自分たちの歴史的な国家名である「琉球」を用いだしてくると、問題は日本からの独立も視野にいれた過激なものになってくる恐れがあります。

とはいえ、琉球独立に関しては一部の物好きが提唱しているような段階に過ぎず、あまり現実的ではないというのが現状かと思います。ただ、以下のニュースのように沖縄県知事が琉球独立論に「言及」しているというのは、これまでに無かったんじゃなかと記憶しています。これまで絵空事のようだった琉球独立論が、より現実的な検討をし始めるフェーズに入ってきたのかもしれないと思うと、もう少し、この問題はセンシティブに扱ったほうが良いように感じています。

翁長沖縄知事が「琉球独立論」に言及



次に世界を見てみると、外国から呼ばれる国名と、国民が呼んでいる国名に大きな隔たりがあるという国が結構あります。「日本」と「Japan」もよく考えれば全然違いますよね。ただ、日本人はマルコ・ポーロの『東方見聞録』で日本が「Zipang」として紹介されたことを知っていますので違和感なく受け入れられているんじゃないでしょうか。

お隣の韓国は高麗由来の「Korea」です。「Korea」も恐らくはマルコ・ポーロか、その同時代の人が西洋に伝えたものと想像されます。大航海時代にはもう、朝鮮になっていましたからね。

中国が「China」と呼ばれるのは清国が由来だと考えています。この名称が定着したのは清国が西洋と接点を持った近代以降であることが推測されます。じゃあ、それまでは何と呼ばれていたか。ヒントは香港の航空会社にあります。「Cathay」です。これも東方見聞録に記載された名称になっています。今でもロシア語やブルガリア語など、スラブ系の国では「Cathay」由来の単語で中国を表現しています。これは10世紀に中国北部を支配した契丹(キタイ)に由来したと考えられています。「China」も「Cathay」も漢民族ではなく異民族が支配した国家だというのは面白いですね。

※追記:ネットで調べると「China」は「秦」由来とするという記述が多く見られますが、僕は懐疑的です。分かっているのはサンクスクリッド語で中国を「Sina」と呼んでいたこと、それがインドを拠点としていたポルトガルの宣教師によって中国を示す言葉として用いられていたことくらいです。この「Sina」の由来が「秦」である根拠は今のところありません。それまで、「Sina」や「Cathay」など複数の呼び名があった中国に対して、清国との交流が深まったことで、「China」に落ち着いたと僕は考えています。

ジョージアという国を知っていますでしょうか?かつではグルジアと呼ばれていましたが、今年になって日本語での表記をジョージアに改めました。この国は現地の言葉ではサカルトヴェロといいます。グルジアとは旧ソ連時代から続くロシア語での呼び方に基づくものでした。しかしながら、2008年以降、グルジアとロシアとの対立が激化していく中で、グルジア政府からロシア語をベースとした「グルジア」ではなく、英語をベースとした「ジョージア」に変えてほしいと要望があり、それに応える形での呼称の変更となりました。

また、日本での呼称変更でいうと、オーストリアが「オーストラリアと間違えられるのでオーストリーに変えてほしい」という事を言い出したこともありました。ただ、こちらは正式な要望ではなかったので、結局に日本では定着せず「オーストリア」のままです。実は、オーストリアの「オースト」はドイツ語の「東」を意味する「Ost」が由来です。ところが、英語表記では「Austria」となってしまっています。これではラテン語で「南」を意味する「Austrum」と間違えられてしまいます。オーストラリアやアウトラロ・ピテクスなどはラテン語の「南」から名づけられています。本来は「東の国」のはずのオーストリアが、英語では「南の国」になってしまうというのは、なんか違和感ありますね。

ギリシャもまた、外国語と現地語で名前の大きくことなる国です。ギリシャはラテン語での呼称が由来であり、現地では「エラス」です。正式な国名は「エリニキ・デモクラティア」で「エラスの共和国」っていう感じです。ヘレニズムは、このエラスから付けられていますね。

そしてエジプトもまた同様です。こちらはギリシャ語が由来の言葉で、現地のアラビア語では「ミスル」という名前で呼ばれています。僕はこの、「ミスル」という国名は現代のエジプトの情勢を理解する上で重要ではないかと考えています。日本でエジプトと言えば、ピラミッドやスフィンクスなど古代エジプト文明を想像します。そして、当然のことながらエジプト人というのも古代エジプトと一定のつながりのある人々であるのだろうと無意識のうちに考えてしまいます。しかし、現地の人々にとって自分たちの国家は「ミスル」であり、民族的にはアラブ人だったり、コプト人だったり、ヌビア人だったりします。なので、古代エジプト文明というものを自分たちの歴史的資産としては見ておらず、たまたま自分たちの土地にある、昔住んでいたどっかの誰かの残したものが、ラッキーな観光資源になっている、と現地の人々は考えているんじゃないかという疑念を持っています。というのも、これまで幾つかの古代エジプトの遺跡を訪れましたが、そこにいるエジプト人たちは明らかに遺跡に敬意を表明しておらず、単なる金づるのように扱っていた感じがぬぐえないためです。

もう一つ、台湾についても言及しておきます。台湾の国号は「中華民国」です。昨今の中台の経済交流を進めているのは、中華民国を建国した国民党政権です。一方で、それに反発する市民は自分たちを「台湾人」と定義しています。この国を「中国」と定義するか、「台湾」と定義するか、市民それぞれのアイデンティティが衝突しているように見ています。

ということで、いくつかの国名を挙げてみましたが、他にも現地語と外国語とでは名前が大きく異なる国がありますので、興味がある方は調べてみると面白いと思います。

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