その前に、僕の中東に対する理解は、そもそも中東とは部族社会で構成されており、それを列強各国が人工的に国境線を割り当てたものであり、西洋諸国と同じように国家単位で物事を見ていては正しい理解は出来ず、それぞれの部族がどう動いているかを知ることが大切というものです。日本では「スンニ派」とか「シーア派」といった宗教上の違いに着目した、非常にざっくりとした色分けがされているように感じますが、その区分はきっと適切ではないんだろうなと考えています。
そんな考えを皆さんにも理解してもらうために、アラブ人と広義にくくられる仲のドゥライム族について自分の理解の整理含めてブログにまとめました。といはえ、ここら辺の状況は英語でもつかめないものが多く、アラビア語に精通した識者のコメントをいただけるととてもうれしいです。
Tribes in Iraq
globalsecuriy.orgより |
最初はこの図です。この図はイラクに住んでいる部族を色分けしたものです。色分けがちょっと分かりづらいですが、多くの部族が混在して住んでいるのが分かります。イラクの地方行政の区分と比べてみても、その区分けが細かいことが分かるかと思います。
Wikipediaより |
このうち、最大の勢力が上の図で73番、74番にあり、地方区分では下の図の13番アンバール県に住むドゥライム族です。
Wikipediaによれば、ドゥライム族は中東では最大級の部族であり全体で700万人を数え、うち300万人がイラクに、残りがシリアやヨルダンに住んでいるとのことです。ただ、居住区域を見る限りドゥライム族の居住エリアがイギリスとフランスによって3つに分断されたというのが正しいかもしれません。そして、このドゥライム族の中にはシーア派の氏族(=部族の中の血縁集団)もあるそうです。
このドゥライム族はフセイン政権においては非常に重要な役割を果たし、イラクの国防軍の主力として激しくアメリカと戦っただけでなく、フセイン政権崩壊後も熾烈な反米武力闘争を行いました。特にマリキ政権との対立は根深いものだったようです。
かれらの集団は「アンバールの目覚め」や「イラクの息子たち」などと呼ばれていました。その目的は故郷を「外国人から守る」ことであり、その点においてアメリカ軍もアルカイダも、そしてISILも同様に彼らにとっては侵略者でした。アンバール県での自治権を獲得するのにあわせて、アメリカおよびイラク政府とは関係改善を行い、次第にアルカイダとの対立に軸足を移すようになります。
Wikipediaより |
彼らの指導者アブドゥル・サタール・アブー・リシャは2007年にイラクの都市ラマディの自宅でアルカイダの爆破テロによって暗殺されました。その後、「イラクの息子たち」はイラクの国境警備隊や治安維持部隊などとして、そのまま政府から身分保障されることになり、彼らの反政府闘争は終わりを迎えます。
しかし、この後イラク政府は致命的な失策をしてしまいます。
治安部隊がドゥライム族の青年を逮捕したことを契機にイラク政府とドゥライム族が衝突しました。この戦闘にISILが介入してきます。その後の経緯は良く分からないのですが、気がつくとイラク政府軍VSドゥライム族+ISILだったものが、いつの間にかイラク政府軍+ドゥライム族VS ISILに代わっていったようです。この戦闘の中でドゥライム族は多くの民間人をISILに虐殺されています。
現時点でドゥライム族は自分たちのラマディ奪還を含めたアンバール県の回復についてはイラク政府と歩調を合わせるが、ISIL壊滅に向けた積極的な動きはしていないようです。
ちなみに、そんなドゥライム族の首長さんはちゃっかりFacebookページまで作ってるみたいです。
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