尖閣諸島を巡る中国側の主張について

何に付いて議論するときであっても
まずは相手の意見を理解する事が
建設的な議論を行うための第一歩
というのが僕の考えなので
尖閣諸島の問題についても
中国の考えをきちんと理解すべく
中国の書店で尖閣に関する書籍を
購入してみました。

日本の書店で尖閣諸島などの
中国問題に関する書籍を探すのは
とっても容易なのに対して、
中国の書店で日本に関する本は
全然見つかりませんでした。
書店のコーナーの多くは教育、投資、文化の書籍が占めていて
尖閣諸島の本を探すのにも一苦労でした。
日本での報道では中国人にとって日本のウェイトが大きいようですが
実際にはほとんど興味がないようです。

さて、日本での尖閣諸島の領有権を巡る主張と同じように
この書籍でも15世紀の書物に釣魚島の名前が出てくるから
古くから中国の領土であったのだという古文書探しから
話は始まってくるわけですが、僕には興味はありません。

古文書が有効になってくるのは1895年に
日本が尖閣諸島を「先占」したことが有効かどうか
という事項の検証に用いられるためでしかありません。
しかし、どの文書をどう読んでみても1895年に
中国も琉球も日本も尖閣諸島を領有していたとは思えません。

どうしても時系列で説明したいがために古文書を先に出していますが
「先占」の話題は領有権を巡る本質的な論点ではないと考えています。
中国側は日本ほど尖閣の領有についての主張をどうするのか
あまり論点が定まっていないように感じられます。

重要なのは、そのあとの2点です。
それは「馬関条約(下関条約)」と「カイロ宣言」です。

1895年4月に締結された日清戦争の講和条約である馬関条約において
「割让臺灣島、澎湖群島與臺澎附屬各島嶼」と定められ
台湾・澎湖島および周辺の諸島
中国から日本に割譲されることとなりました。

そして、サンフランシスコ講和条約で
「日本放棄對台灣、澎湖等島嶼的一切權利、權利名義與要求。」
で、これらの島々の権利を放棄すると宣言しています。
サンフランシスコ講和条約を中国は締結していませんが
この条文のベースとなったカイロ宣言には国民党政権が参加しており
この条文は明らかに馬関条約にて日本に割譲した土地を
中国に返還するという意図で記載されています。

で、ここが議論のポイントになるわけです。
つまり、「馬関条約」で割譲された島の中に尖閣諸島は含まれるのか
それとも含まれないのかどちらなのかということです。

中国は尖閣諸島は「付属各島嶼」に含まれると主張して
日本は含まれないと主張しているわけです。

なので、日本の尖閣諸島を巡る議論の中に
「1920年に中国から尖閣諸島に漂着した中国人を救助したと
 感謝状が届いたから中国が認めた」
というのを良く目にするのですが、
1895~29145年の50年間は日本領であったのは
中国も認めているので、その間のことは意味が無いんですよね。

日本側の主張は尖閣諸島の領有は日清戦争とは関係ないところで
1895年1月に無主の土地であったものを領有化したというものです。
しかし、この日付は正に日清戦争の最中だったので、中国側に「
日清戦争中に日本が占領した中国の領土を
1月に一方的に領有宣言し、馬関助役で正式に割譲された」
という主張をさせる隙を与えてしまっています。

日本としては10年以上前から古河辰四郎による開発が進んでいて
実質的に日本の管理下にあったわけですから、
何も、こんなもめそうな時期に領有化するんじゃなくて
日清戦争が終わった後にでも正々堂々と清国に
「ここはだれの土地でもなかったから日本のものにしますよ」
と通達して領有化すれば良かったと思うのです。

領有宣言したときには、どこにも通達しなかったけど
日本と戦争中だった清国が気づかなかったから先占成功なんだ
というのは、ちょっとみっともないですよね。

さらに、講和条約までの時間の流れを追ってみると
1月中旬:尖閣諸島に日本の標識を立てる事を内務大臣に指示
1月末:来日した清国の交渉団との会談を拒否
2月中旬:威海衛占領
3月上旬:遼東半島制圧
3月19日:李鴻章来日し講和交渉が始まるも停戦はせず
3月下旬:台湾制圧
3月末:停戦

という感じで、停戦までにどこまで侵略できるかという動きの中で
尖閣諸島も領有を宣言したと言えなくもない状況ですので
あんまり、過去の事をほじくり返してしまうと
かえってボロが出そうな気もしています。

ってことで、今現在は日本が実質支配しているわけですから
あまり過去の事はあれこれ言わないでおいて
とにかく話題を逸らして、中国人に尖閣のことは忘れてもらう
っていうのが一番の得策かもしれませんね。

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