竹島について不利な事情も考えてみた。

オリンピックでの竹島アピールから大統領の上陸と、
今月に入ってにわかに竹島問題に動きがありました。
その中で、韓国が竹島を自国領だと主張する根拠に対して
有志による史料批判が多々行われており、
韓国が竹島を領有する根拠は崩れてきました。
一方で日本が領有する根拠については殆ど批判されず、
自分たちに都合の良い情報だけが抜き出されているように感じます。
竹島問題の歴史的経緯を語るのであれば、
自分たちの主張もレビューしておかないと
いざ国際司法裁判所で判決を、となったときに
韓国側の反論に対して適切な説明ができなくなる恐れがあります。

ということで、日本が竹島を領有していると主張する2大根拠について
自分なりに懸念点を考えて見ました。

1.1905年に日本が正式に竹島の領有を決定した。これに韓国は異論を唱えなかった
この事実は竹島に領有権を考える上で極めて重要です。
これまでに日本が四国の領有を決定したことはありません。
有史以来、日本領であることが明確だからです。
なので、竹島の領有を明確にしたということは
それまで竹島の帰属が日韓両国であいまいだったからに他なりません。
これは歴史史料を見ても明らかで、江戸時代までに文書は
竹島と書いてある島が鬱陵島だったり、
竹島を松島と記述していたりします。
つまり、1905年より以前の史料をどれだけ持ち出したところで
日本が明確に竹島を領有し支配していたという証拠にはならない
という判断がなされる恐れがあります。

また、日本の領有宣言は日韓併合の1910年より前であり、
当時の韓国政府は竹島を自国領と主張せずに
日本領有を黙認したという主張が多く見られますが
当時は日露戦争の真っ最中で仁川に上陸した日本軍が
朝鮮半島各地に駐留している状況でした。
そして何より1904年8月には第一次日韓協約が結ばれいて、
韓国の外交権は日本政府によって多く制限されていました。
そんな状況で果たして当時の韓国政府は
日本の竹島領有にノーと言えたのだろうか?
という疑問が残ります。
民法では、強迫などによって本人の自由意思でない契約をした場合、
その契約は破棄できると定められています。
つまり、日本の領有宣言が有効かどうかは、
当時の韓国政府が自由意思で反対することが出来たかどうかが重要で
第一次日韓協約が効果を発揮しておらず、
韓国は日本と対等な外交関係にあったことを証明しないと
1905年の領有も一方的な収奪と判断され兼ねません。

2.サンフランシスコ講和条約で竹島の韓国編入が認められなかった
さて、したり顔で説明されるこの根拠は完全に無意味なものですね。
だっれサンフランシスコ講和条約は韓国には関係のない条約ですから。
これは日本と連合国との講和条約であって当時日本領だった韓国は無関係ですね。
また、サンフランシスコ講和条約で日本が領有権を放棄した地域は
もちろんポツダム宣言に由来するわけですが
さらにいうとカイロ宣言という非公式な宣言に基づいています。
このカイロ宣言は米英中の3ヶ国だけで議論されたもので
正式に採択されたわけでも連合国の間でコンセンサスがとれたものでもないので、
竹島はカイロ宣言でどう定義されたかといわれても誰も発言できない代物です。
つまり、サンフランシスコ講和条約締結時点の竹島の扱いは
韓国領として認められていなければ、日本領とも決められていない宙ぶらりんの状況です。
もちろん、この後の日韓基本条約でも見事に先送りされいます。

という点を踏まえて韓国側が1905年の日本による領有宣言は一方的な収奪で無効であると主張し
現時点で竹島の領有については日韓両国で未確定となっているので
実効支配している韓国領であるとするのが妥当であると言ってきた場合に
1905年の領有宣言がいかに有効であるかを日本側が説明できるかにかかってくると考えていますが
僕には有効な反対論が思い浮かびませんでした。

正直、ここしばらくの竹島に関する日本の動きは常にリアクションです。
竹島が日本領であると主張するのであれば、奪還に向けた長期プランを打ち出し
韓国側の一挙手一投足に動じて過剰に反応することなく
粛々と奪還の準備を進めることが今のリーダーのやるべきことかと思います。
ウォンスワップを止めろというような、とりあえず手札を出してみよう的な行動は
カードゲームに負ける典型的なパターンのように感じています。

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