授戒会に参加してきました

先週、京都は嵯峨にある清涼寺で行われた「授戒会」というものに参加してきました。日本国民の多くは仏教徒であると言われているにも関わらず、日常の生活の中で仏教と触れ合う機会はそんなに多くありません。そこで、授戒会において「仏教とは何か?」の初歩の初歩を学んできました。
授戒会の内容は非常に面白いものであり、ぜひ多くの皆さんに自分と仏教との関係を考える機会を持ってもらいたいと思い、自分の経験をブログにまとめることしました。



始めに

始めに僕と仏教と関係について説明しておきます。僕は専攻が史学科であり、今も働きながら大学院に通っています。そのため、歴史知識としての宗教、そして仏教についてはよく知っていると思います。ただ、それは「十字軍」や「紫衣事件」などの宗教的背景が社会にもたらした影響という側面から知っているものであり、その教義や信仰のあり方などについては無知にも等しいものでした。

きっかけ

そんな僕が仏教に興味を持つようになったのは父親の葬式です。自分の父親の葬式を上げてみて初めて、自分の宗教に対する無知に気づいたのです。父親の戒名の意味も知りません。父の為のお経の意味も知りません。初七日とは何か、四十九日とは何か、その形式は知っていても理由・意味合いは何もしらなかったのです。
また、父は僕が35歳の時に70歳で世を去りました。そして、父が祖父を見送ったのも父が35歳の時でした。そう考えると、自分はもう人生の半分を折り返しているんだという気持ちになりました。そして、自分が死ぬための準備を始めておかなければという衝動が出てきました。それ以来、仏教についてもっときちんと学んでおかなければならないという思いが心に引っかかるようになりました。
そんな折に大学から「授戒会」の案内がやってきました。通っている大学が仏教系だったからです。しかも費用はたったの3,500円でした。とはいえ、授戒会とは何かも良く分かっていない状態でしたのでネットで調べて見ると「戒名がいただける」とありました。そこで、自分の葬式の時に家族が困らないのは良いなという程度の動機で授戒会に参加することとしたのです。

授戒会とは何か

で、今授戒会を終えて、改めて授戒会が何かと問われたら、それはキリスト教における「洗礼」にあたるものだという説明が一番わかりやすいものかと思います。そもそも仏教は出家して坊主となることを前提として成立した宗教ですので、一般市民のままで信仰に帰依するという点が非常に曖昧になっているなと感じました。本来であれば出家する際に授かる戒名ですので、授戒会は出家のための儀式とも言えるわけですが、現代社会においては、多くの信徒は在家のままですので、授戒会とは「自分は仏の教えて(=戒)をしっかり守ります」という信仰の気持ちを師匠となるお坊さんに認めてもらう儀式と捕らえるのがわかりやすいかと思います。
ちょっと横道にそれまずが、この授戒にあたっては、本来であればお釈迦様が弟子に対して授けるものなのですが、お釈迦様は既にこの世には居ないので、直接の弟子が、その弟子に、その弟子がまた自分の弟子にという形で戒を授けていきます。という話を知った時に、公開鍵証明書のチェーンのようだなと感じてしまいました。お釈迦様をルート証明書として、ルート証明書によって証明された公開鍵とペアの秘密鍵で自分の信仰心を署名してもらったんだというイメージが頭の中に浮かびました。

戒とは何か


授戒会で授かる戒とは、簡単にいえば信仰心のようなものです。その内容は聞きかじりの僕の説明よりも授戒会に参加いただいて、直接伝戒師となる方から伺うのが一番良いかと思います。僕がここで驚いたのは、大学主催だからということもあるかと思いますが、他の宗教・宗派の信徒に対してもオープンであったということです。つまり、授戒会で戒を授かったからといって、他の宗教を信じてはいけないという事が全く無かったという点です。
現代社会のいて宗教というとキリスト教やイスラム教のような宗教をイメージし、その信仰の違いによって争っているような印象があります。それが、受戒とは自分が仏様との約束を守るという誓いであって、仏様以外の神様を信じてはいけない、であるとか、自分たちの宗派以外の方法で儀礼をしてはいけないということではないということでした。これは衝撃でした。今話題の二重国籍ならぬ、二重宗籍を認めているような感じです。ですので、読者の中で仏教徒ではないが、仏教の教えに興味がある方は一度問い合わせをしてみるといいかもしれません。


授戒会のスケジュール


今回授戒会は2泊3日で行われました。この間、寺院の中で起居し、テレビやスマホからは隔絶されます。なのでカープが優勝したかどうかは授戒会が終わるまで分かりませんでした。中身は仏教とは何か、戒とは何かといった教えについて1時間の説戒が7コマと礼拝や焼香の仕方といった作法および、その理由に関する説明が3コマあり、その間に食事や休憩のほか「おつとめ」と呼ばれる祈りの時間がありました。大学生向けということもあり、内容は決して厳しいものではありませんでした。早朝からの乾布摩擦とか、座禅とか、そういったものは一切ありませんでした。むしろ、僕らが起きる前から若いお坊さんたちが寺院の中を掃除してまわっていたりして、頭の下がる思いでした。ただ、1日中床に座っているので、日ごろから椅子になれている僕にはお尻がとても痛かったのだけが問題でした。

正授戒

授戒会の最後は「正授戒」というセレモニーであり、ここで戒名をいただきます。2泊3日の授戒会の修了式でありつつも、仏教徒としての入学式でもある場でした。この正授戒の中で、「皆さんはこれから仏様の教えをしっかりまもりますか?」という質問があるのですが、そこで「誓います」ではなく「よく保つ(=最大限がんばります)」と回答するあたりに仏教の教えの重要なポイントがあるように感じました。
たった3日間ではありましたが、日ごろの生活から離れての努力の結晶とあって結構うれしいものでした。この戒名を記した巻物が「戒牒」というものです。これは再発行してくれないそうですので、無くすと再度授戒会に参加する必要があるそうです。

授戒会を受けて見て

残念ながら僕のような意志薄弱な人間は、3日間寺で修行したとしても熱心な仏教徒にはなれず、ずっと「足痛い、お尻痛い」と心の中で念じているような男でした。それでも、世俗の世界とは異なる宗教の世界があるというのは、自分の中に新しい空間が生まれたような気持ちになり、もう少し宗教というものが身近にある人生というのも面白そうだ、と感じました。
今回の授戒会は大学主催ということもあり、半分が20代の若い男女でした。それも決して宗教やスピリチュアルに興味があるタイプではなく、「せっかく仏教系の大学に通っているから記念に」程度の気持ちで参加していました。そういった宗教とのライトな関わり方っていうのが、今の日本社会ではうまく成立しておらず、宗教というと、もう経済活動からはドロップアウトした人の集まりような印象を持たれてしまっています。
これは仏教界でも大きな課題としてとらえているように感じました。軽く浅い繋がるのある信者というものが居ないがために宗教として裾野が広がっていかず、一部の熱心な信者と観光客によって寺院経営が成り立っているという極めて不健全な宗教団体の経営になってしまっているのではないでしょうか。
ということで、皆さん気軽な気持ちで、もう少し仏教に接して見てはいかがでしょうか?

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