シリアの歴史

2015年11月13日にパリで悼ましいテロ事件が発生しました。年初のシャルリー・エブド襲撃事件もあり、シリアをめぐるテロ事件の多くはフランスで起きている印象があります。中東の歴史というとイギリスの影響が強い印象がありますが、自分の復習含めて、改めてフランスとシリアがどのような関係を構築してきたのかを整理してみました。



現代の中東の歴史の出発点はメッカの太守フサイン・イブン・アリーです。現代の中東問題の根源を求めていくと、イラクでもシリアでもパレスチナでも彼に行き着きます。「フサイン=マクマホン協定」のフサインです。彼はムハンマドと同じハーシム家の人間でメッカを始めとしてイスラム世界で強い影響力を持った家柄に生まれました。彼は1908年にオスマントルコによってメッカの太守に任命されます。

1914年に第一次世界大戦が勃発するとトルコと敵対するイギリスが彼に接触を図ります。そこでイギリスはトルコへの反乱の対価として、彼にアラブの支配権を認める密約を結びました。これが「フサイン=マクマホン協定」です。この約束に従ってフサイン・イブン・アリーは彼の息子たちの中東全域でオスマントルコに対する反乱運動を展開しました。この時、イギリスから派遣された軍人が『アラビアのロレンス』で有名なトーマス・エドワード・ロレンスです。

フサインの三男ファイサルはシリア方面で活動し、ダマスクスに入城します。1918年に第一次世界大戦が終結すると、戦いの舞台は軍隊から外交へと変わりました。1919年にシリアで議会選挙が行われ、ファイサルを国王とする立憲君主制の国家を樹立することがシリアの民衆自身の手で決定されました。この時のシリアには現代ではレバノン、パレスチナと呼ばれる地域も含まれます。

そこに出てくるのが悪名高い「サイクス=ピコ協定」です。イギリスとフランスとで結ばれた秘密協定に基づいて、1920年にトルコと連合国との間でセーブル条約が締結され、シリアはフランスの委任統治領になることが決まりました。イギリスの後押しで国家建設を進めていたファイサルにとっては梯子をはずされた状態です。シリア議会は早速、シリアの独立宣言とフランスの委任統治の拒否を議決しました。これに対してフランス軍はダマスクスへの進軍を行い、マイサランの戦いで敗れたファイサルはシリアから逃れます。

この一連の流れをシリア民衆から見ると、トルコを追い払ったと思ったら、フランスが侵略してきたという状況だったのではないでしょうか。

第二次世界大戦後、他の第三世界の国々と同じくシリアも独立を果たすことができました。この時、権力を握ったのは伝統的なスンニー派の有力者たちです。彼らは政教混在の伝統的な統治を目指したため、アラウィー派などの少数派は政治の中枢から排除され、苦しい生活を強いられることとなりました。この時、アラウィー派がよりどころとしたのが、思想的には世俗主義のバアス党であり、職業的には軍でした。こうして軍隊内で力を付けたアラウィー派を中心としたバアス党がクーデターによって政権を握ります。これが現代にも繋がるアサド政権です。

こうしてシリアの歴史をふりかえってみると、シリアでも、そしてイラクやエジプトでも見られるように、これらの国々での対立の基本軸は「イスラム保守主義」と「世俗的社会主義」であり、そのいずれも西洋の価値観では評価されざるものである以上、西側諸国が両者の対立に介入するというのは混乱を助長するだけであり、何の解決にもならないのではないか?というのが僕の所見です。また、世界全体を混乱に招く極端なイスラム原理主義に比べれば、多少の不自由はあっても日常生活に生命の危機を感じないバアス主義のほうが、まだマシではないかとも考えています。そうなってくると、シリアの内戦を解決に導くキーマンはバアス主義と親和性のあるロシアや中国の介入なのかもしれません。事実、ロシアがアサド政権を直接的に支援するようになってからシリア情勢は大きく動いているように感じています。

さらにフランスはシリアの中でもキリスト教徒の大かった地区をリアから分離させ、大レバノンを作りました。これが現在のレバノンに繋がります。この時、歴史的に「レバノン」と呼ばれている地域だけではなく、レバノンに隣接する地域も含めて「大レバノン」を形成しました。このため、大レバノンに含まれる地域の住民にとってはシリア人としてのアイデンティティを持った人たちも含まれていました。また、この人工的な分割によって、それまで中東でマイノリティであったキリスト教徒が最大勢力となる国家が誕生することとなりました。しかし、キリスト教徒が多い地域だけを無理やり分断させたうえ、それでもなおキリスト教徒が過半数でないという極めて不安定な国家であったレバノンは、案の定1970年代に内戦を起こしてしまいます。

長年にわたるレバノンの内戦はイラクのフセイン大統領の支援を受けたキリスト教マロン派のアウンとシリアのアサド大統領の支援を受けたキリスト教メソジスト派のムアワドの対立に収斂していきます。フセインもアサドも西側諸国からは独裁者と批判されていますが、両者ともに世俗主義の政治家であり、それぞれキリスト教勢力を支持していたあたりに中東の問題を「宗教問題」として安易にレッテル貼りすることの危険性を示唆していると感じています。

このレバノンの内戦を終わらせたのがシリアでした。湾岸戦争によって当面の敵をイラクと定めたアメリカ政府はレバノンに対するシリアの介入を黙認し、シリア軍の全面介入によって内戦は終結し、レバノンはシリアの傀儡国家となりました。

以上、シリアの歴史を中心にレバノンにも少し言及しましたが、僕の考えをまとめると、「民族自決」や「国民主権」といった現代の価値観を中東にも要求しつつ、その国境線は列強による人工的なものであるというゆがみが、イラク、シリアでの戦乱に繋がっているという点です。21世紀になり、EUの統合や経済のグローバル化など、国民国家というものが20世紀に比べて相対的になってきています。既存の枠組みによるアンシャン・レジームを求めるのではなく、新たな国際社会の枠組みが求められているのではと重います。

1 件のコメント:

  1. 中東は断片的にみるものではなく、歴史を考慮しながら判断しないと収拾がつかなくなると
    思います。参考になりました。

    返信削除