百人一首56 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな

百人一首(Wikipediaより)

今日も続けて中宮定子の女御の一首です。当時一番の和歌の名手にて恋い多き女性の代表です。
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな
和泉式部




内容
この歌は和泉式部の死の直前に歌われたと言われています。「私はもう長くない。この世の最後の思い出に、もう一度たけあなたに逢いたい」という非常に切ない恋の歌です。果たして和泉式部は数多いる元カレのうち誰に逢いたかったのか、史料には残っていないので想像するしかありません。
僕が個人的に感じているのは、恋愛のエキスパートである和泉式部のこと、具体的な誰かを思い浮かべて逢いたがっているなどという弱音が本音では無いのではないかということです。
具体的な相手ではなく全ての元カレたちに「なんだあいつ、俺のこと忘れてなかったのか。また逢いたいなんて嬉しいなぁ」と和泉式部との逢瀬を思い出させるのが目的だったのでは無いでしょうか。自分の命は途絶えても、自分の生きた証を他の人たちの心の中に残しておきたかったという強さを隠した歌ではないかと思っています。

百人一首と家族
百人一首には親子や兄弟で歌が残っている人たちが多くいます。これは中級貴族がのし上がるために文芸の道を究めようとしたからではないでしょうか。そういえば今でも大企業には家族で同じ会社って人も結構いますね。何人かピックアップしてまます。

小野篁(祖父)ー 小野小町(孫)
在原行平(兄)ー 在原業平(弟)
紫式部(母)ー 大弐三位(娘)
和泉式部(母)ー 小式部内侍(娘)
平兼盛(父)ー 赤染衛門(娘)
藤原公任(父)ー 藤原定頼(子)
清原深養父(曾祖父)ー 清原元輔(父)ー 清少納言(娘)
儀同三司母(祖母)ー 藤原道雅(孫)
大中臣能宣(祖父)ー 伊勢大輔(孫)
藤原定方(父)ー 藤原朝忠(子)

なとなどです。藤原さんは非常に多いのでぱっと見わかりにくいですね。

日記の国
紫式部に紫式部日記が、藤原道長には御堂関白記があるように、和泉式部には和泉式部日記があります。平安時代に普及した日記は日本の知識階級の常識ともいえるものになり、歴史上の多くの著名人が日記を残しています。
世界各国を見回しても、これだけ日記の溢れた国はありません。他の国では「日記もある」レベルですが、日本では歴史研究において日記は欠かせない基礎史料になってます。現代においても日本人は日記が好きなようで世界中のブログの40%は日本語なんてデータもあるようです。なぜ、日本人はこんなにも日記が好きなんでしょうね。
昨日も引用した藤原道長の御堂関白記は平安文化の黄金期の様子や朝廷での政務の在り方など、非常に面白い内容にあふれています。特に「穢れ」は現代人には不思議な感覚です。自宅の犬が出産したから穢れが落ちるまで自宅に籠もるとかが普通にあった時代です。もっとすごいのは、床下から死体がポロポロ見つかるところ。でも、身許調査とか全然しないで、死体がでたぞ、さあ穢れだ。みたいな感じなんです。ぜひ読んでみてください。

今日のオススメ
折角なのでブログで取り上げた書籍についてアフィリエイトのリンクを貼ってみることにしました。興味が出たら、是非とも読んで見てください。角川のビギナーズ・クラシックのシリーズは内容のサマリーを分かりやすく紹介してくれるだけでなく、編集者の個性溢れるコメントが非常に面白く、古典の内容を理解するのにうってつけだと思います。
御堂関白記


和泉式部日記

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