百人一首7 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

百人一首(Wikipediaより)

遣唐使に行かなかった、小野篁と菅原道真の歌を紹介しましので、今後は実際に遣唐使に渡った人の歌を紹介します。阿倍仲麻呂は有名人ですが、改めて彼の人生を振り返ってみようと思います。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
阿部仲麻呂



阿部仲麻呂の人生
歌の内容を説明する前に、彼の人生について簡単に紹介します。彼は若干20歳で遣唐使とて唐に渡り、そのまま帰国することなく、唐で人生を終えました。帰国できれば、国政に多大な貢献が出来たかと思われますが、その機会なく、異国にてその能力を発揮しました。菅原道真はこういった人材の流出を懸念して遣唐使を廃止したのかもしれません。
遣唐使として唐にわたった彼は科挙に合格し、唐の朝廷で官僚として働きはじめます。文化人としても評判を得たそうで、李白や王維といった同世代の著名な詩人たちとの交流を深めました。
そして在唐30年がたち、50歳になって故郷に帰ることを思い立ちます。ちょうど遣唐使が来ていたので、その帰国便に乗せてもらえるよう調整しました。
しかし、当時の海路は非常にリスクの高いものでした。彼の乗った船は暴風雨にあって遭難し、まったく方向違いの場所に流されてしまいました。流れ着いたのは唐の最南端、安南と呼ばれる場所でした。これは現在のベトナムの北半分にあたるような場所です。一旦は長安へ戻るものの唐の国内情勢が不穏当だったため、結局は帰国をあきらめることになります。
その後、彼は暴風雨で流れ着いた安南の節度使(総督みたいなもの)として再びベトナムへと赴きます。そうして唐で大出世を果たして人生を終えたのでした。

内容
ですので、この歌は彼が唐にいるときに詠まれたものです。「夜空を見上げてみれば、そこに浮かんでいる月は、故郷の奈良で見上げていた、三笠山から上ってきた月と同じなんだろうな」という望郷の一首となります。僕はずっと地元に住んでいるので、彼の気持ちを真に理解することは出来ませんが、故郷を遠く離れてがんばっている人には共感の多い一首ではないでしょうか?

コスモポリタン
さて、阿倍仲麻呂が活躍しだ時代の唐とはどういった時代だったのでしょうか。この時代は個人的に結構興味ある時代ですので、この時代を彩った英傑だちの紹介によって、時代の空気を知ってもらえればと思います。

楊貴妃
皇帝玄宗の寵妃で傾城傾国(国を滅ぼす)の美女として有名です。世界三代美女の一人ですね。

玄宗皇帝
唐の皇帝。若い頃は優秀で、その治世は今でも高い評価を得ていますが、年老いて政治に興味をなくし、楊貴妃に夢中になります。唐の皇室は元々は鮮卑と呼ばれるモンゴル系の異民族出身です。

李白・杜甫
漢詩の世界の有名人

安禄山
当時の中央アジアを中心に東アジア全域に住んでいたソグド人とトルコ人とハーフで今の北京近くの町の出身です。元の姓は「康」でしたがが母親の再婚相手の養子になり「安」姓になりました。
この康姓はサマルカンド(今のウズベキスタン)の部族をあらわす名字で、安はブハラ(同)出身の部族をあらわしています。ゾロアスター教徒であり、名前の「禄山」は「ロクシャーン(光明)」の当て字です。軍人として朝廷で出生していきますが、楊貴妃の一族で宰相の楊国忠と対立し、安史の乱を起こしました。

高仙芝
朝鮮半島に割拠していた高句麗の王族。中央アジア派遣軍の将軍として今の○○スタンと呼ばれるあたりで活躍していましたが、タラス河畔の戦いでイスラム軍と戦い敗北したことで有名になってしまいました。安史の乱のさなかに奸臣の讒言を受けて無実の罪で玄宗に処刑されてしまいます。

哥舒翰
安禄山のライバル。父親はトルコ人で母親はホータン王国出身。ホータン王国はタクラマカン砂漠の南にあるオアシス国家で今では新疆ウイグル人自治区になっています。伝説ではインドのアショーカ王がホータン王国を建国したそうで、しばしばインド側の石碑等にも登場します。このホータン国王の名前は「ヴィジヤ・ヴァーハナ」など明らかにインドっぽい名前をしています。

葛勒可汗(ヤグラカル・モユンチョル)
当時モンゴル高原を支配していたウイグル族のハーン。このウイグル族は現在のウイグル族とは異なり、トルコ系と考えられています。この民族が西へ西へと移動して今のトルコを作ったかと思うと、ちょっと驚きですね。。少し前にネット話題になったシベリアにある謎の宮殿を造ったのは、彼の属する王朝でした。唐からの要請で安史の乱に介入します。

閤羅鳳(Cac La Phuong)
今の雲南省にあった、南詔と呼ばれるチベット系の国の国王。安史の乱に便乗して唐に侵攻します。

菩提僊那(ボディーセーナ)
インド出身の仏僧。東大寺の開眼供養のため、唐から日本へやってきました。

仏哲(ファット・チェット)
菩提僊那と共に唐から来日したチャンパ国(今のベトナム中部)出身の僧侶です。


と特に異民族として唐で活躍していた人材をあげてみました。現在はグローバル化の時代だといわれていますが、昔も変わらずグローバル化していますね。この時期の長安にはキリスト教の教会もあったそうですし、広州にはモスクが早くも建設されたなんて話もあります。もう少し時代が下がると、開封という町にユダヤ人街が出来たそうです。

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