百人一首95 おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染の袖

百人一首(Wikipediaより)
そういえば、坊主の歌を全然紹介していませんでしたので、今回は坊主から一首。百人一首好きには蝉丸こそ一番だとは思いますが、百人一首に登場する坊主の中で一番著名なものは慈円だと思います。

おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染の袖
前大僧正慈円


内容
一点して分かりにくい歌ですね。「おほけなく」「おほふかな」「杣」と見慣れない単語が並びます。「おろけなく」は「ちょっと傲慢だけど」みたいな感じです。「おほふかな」は「覆うかな」、「杣」は「そま」と読み、材木を植えている山の事を差します。単純に現代語訳すると「傲慢な話だけと、この山に立っている私の墨染めの服の袖で、悩みの尽きない人々を大覆ってあげよう」という内容になります。これでも良く分かりませんね。
そこで、少し慈円という人を知る必要があります。彼は天台寺座主という役職にありました。これは比叡山延暦寺のトップの役職になりますが、それはつまり日本の仏教界の第一人者であるということになります。規模は違いますが、バチカンの教皇みたいなものです。この歌はそんな彼の意識の高さと傲慢さが溢れています。
意味を訳して行くと「我が立つ杣」の山とは延暦寺のことです。「墨染めの袖」は「坊主が着る法衣」ということになります。つまり、意味を理解できるように訳すと「傲慢な話だけど、悩み多き民衆が仏の加護に覆われて世間の辛いことから避けられるように、私がみんなを守っていかなければならない」という滅茶苦茶傲慢な内容です。まぁ、彼は関白の子供として生まれ、今は日本の宗教界のトップですから、そんな傲慢さもしょうがないのかもしれません。

比叡山延暦寺
さて、慈円のいた延暦寺ですが、日本史上において大変に重要な役割を果たして来たのですが、残念ながら学校では「最澄が作りました。信長に焼き討ちされました。」くらいしかやりません。そこで、改めて延暦寺のヤバさを説明したいと思います。
まず、慈円より少し前の時代の権力者白河上皇が自分の思い通りにならないものとして「サイコロの目、賀茂川の水害、延暦寺の坊主」を上げました。サイコロの目や自然災害などと同じレベルで思い通りにならないと言っています。
元々、比叡山延暦寺は朝廷によって日本の仏教の総本山として作られました。そのため、寺の名前も当時の元号「延暦」から付けられました。そんな延暦寺も1000年をすぎると徐々に朝廷のコントロールを離れて自発的に行動するようになりました。当時の人々の間にはに末法思想といって、「もうすぐアンゴルモアがやってきて地球はおしまいだ!」というような風説が広まっていて、天国に行けるように、貴族たちもこぞって延暦寺に土地や資産を寄進しました。僕はこの経済的なバックボーンの確立によって朝廷からのコントロールを離れることが出来たんじゃないかと考えています。
当時の延暦寺の経済力を理解するためには京都の地図を見てみるのが一番です。平安京の東の端は賀茂川の当たりです。ですが、加茂川東岸には祇園を始め、清水寺や八坂神社の門前町などの繁華街が存在しています。この加茂川東岸の街そのものが最盛期の延暦寺の境内の中に含まれていたようです。当時の延暦寺は我々がイメージするような宗教団体ではなく、流通・小売・不動産経営はては金融まで行うコングロマリットだったのです。
そんな延暦寺は気にくわない事があると日吉神社の神輿を担いで京都市内を暴れまわりました。御神体を人質にとられた状況では、警察も手を出すことが出来ませんでしたので、延暦寺の人々はやりたい放題やっていたようです。
そんな延暦寺ですが、それだけ大きな存在ですと時の権力者にとっては都合が悪いもの。日本に統一的な権力が出来るに従い、力を削がれていきました。一つ目は有名な織田信長による焼き討ちです。延暦寺は京都の隣にあり、政府から独立した勢力となっていましたので必然的に政権を持つ勢力とは敵対することになります。織田信長はライバルの朝倉義景らに手を貸す延暦寺に激動し、延暦寺を焼き討ちにし、多くの住民を殺害しました。これによって中世を研究する上での貴重な史料も灰燼となってしまいました。
江戸に幕府ができると延暦寺に対する圧力も増してきます。まず、寺院諸法度という寺院向けの法律が出来ました。それまでは、武家と公家と宗教界はそれぞれに天皇と結びついており、寺社が武家の支配を受けるという構造にはありませんでした。続けて、上野に投叡山寛永寺が出来ます。寛永寺が建立されたのが寛永年間ですから、この寛永寺は幕府が延暦寺の権威を削ぐことを意識して作られたと想像できます。
最後に、明治政府の廃仏毀釈の政策です。それまでは神仏混交の習慣によって延暦寺の敷地内にも沢山の神社がありました。しかし、国によって神社は国家神道に再編され、延暦寺から没収と成りました。さらには所領、土地なども没収され、コングロマリットだった延暦寺は現代のような大きなお寺となりました。

出身者
最後に延暦寺出身の著名人をあげておきます。

法然:浄土宗開祖
親鸞:浄土真宗開祖
栄西:臨済宗開祖
道元:曹洞宗開祖
日蓮:日蓮宗開祖

そうなんです、日本の仏教宗派の多くは延暦寺から派生していったのです。

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