百人一首97 藤原定家 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ

百人一首(Wikipediaより)

百人一首は今でこそカルタとして有名ですが、元々は藤原定家が百人の名人から一首ずつ選らんで作り出した歌集でもあります。この百人一首に記された和歌のすばらしさを少しでも広められればと考えていたので、僕の心に残っている和歌をいくつかピックアップして順場に紹介していきたいと思います。
まずは、百人一首の編者である藤原定家の一首です。

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
権中納言定家



内容
この歌は藤原定家が作った恋の歌ですが、彼自身の気持ちを歌ったものではありません。平安時代の和歌の多くはサロンの主催者が定めたテーマに対して各人が作った歌を持ち寄って発表するというもので、決して本人の気持ちをストレートに表現したものばかりではありません。
この歌の主人公は淡路島の松帆の浦という漁村に住む海女です。海女が思いを寄せる男性を末っているのですが、一向にやってこないので身を焦がしている様子を海女が塩を取るために焼いている海藻を用いて表現しています。しかし、そこには沢山の技法がつめられているのです。
当時は塩は海藻を燃やした後、水に溶かして煮詰めることで取り出していたそうです。なので藻塩を焼く必要があったわけですが、この具体的な作業がどんななのかは僕もイメージできていません。

技法
まず、「来ぬ人」ですから、「待つ」わけです。それと海女のいる地名「松帆の浦」をかけています。掛詞は和歌でよく用いられている技法ですが現代的言えば「駄洒落」です。同じ音の異なる単語をタブらせることでリズムをつけています。
そして時間帯は「夕なぎ」です。夕方になると気温が下がることで海風と陸風が入れ替わるタイミングがあり、その時間帯は風が止んで凪となります。海女が海藻を取る仕事を終えて海辺で海藻を焼いている時間帯でありつつ、凪であるので、焼いた煙はどこへと流れていかず真上へあがって行きます。風が吹けば、その煙に自分の思いを乗せて「来ぬ人」に思いを届けられるかもしれないのに夕凪だとそれも叶いません。
そして、「焼くや藻塩」から「こがれつつ」という縁語につ投げることで、海藻を焦がすという海女の行動と、来ぬ人を待ち焦がれるという海女の思いを見事にシンクロさせています。


そしてそして、この一首のすごいところは、そこで終わりません。そもそもなぜ、松帆の浦の海女なのか?という点になぞが残ります。単に技術的な表現を突き詰めていく上で適当な場所を選んだと思うこともできます。
実はこの一首は500年前の作られ、万葉集に残されていた長歌に対する返歌なのです。これを本歌取りといい、対象の歌とあわせて詠むことでより深く意味を知ることができるのです。オリジナルは以下の歌です。

名寸隅乃 船瀬従所見 淡路嶋 松帆乃浦尓 朝名藝尓 玉藻苅管 暮菜寸二 藻塩焼乍 海末通女 有跡者雖聞 見尓将去 餘四能無者 大夫之 情者梨荷 手弱女乃 念多和美手 俳徊 吾者衣戀流 船梶雄名作者:笠金村

万葉集は平仮名ができる前のものですので、漢字をカナ代わりに使っており非常にわかりにくいものです。ここでは4ブロック目から「松帆の浦に 朝なぎに 玉藻苅つつ 暮なずに 藻塩やきつつ」に注目してください。この歌の内容がそのままかかれています。この歌は「淡路島の松帆の浦で藻塩を作っている海女がいると聞いたが、船も舵もないので会いに行くことができない」というまだ見ぬ女性に興味を示している男性の様子を描いています。これに対する返歌として、「私もあなたを待っています」という内容の歌をオリジナルの歌の単語をきちんと使って、上記の技法を使いこなしているんです。
500年越のラブレターの返事というのもオツなものですが、この一首を作るためには万葉集をしっかり読み込んで理解していないといけないわけで藤原定家の和歌に対する造詣の深さを知ることができます。

感想
この一首は平安時代の貴族文化としての和歌の完成系だと感じています。そして、藤原定家自身は鎌倉時代初期に後鳥羽院の院政期を支えた人材であり、承久の乱で後鳥羽院が隠岐に流されたことで、時代の中心が京都から鎌倉へと移っていた時期に生きていたということを踏まえると、「月満つれば則ち欠く」と中国の古典『史記』にあるとおり、藤原定家という完成系をもって平安文化にピリオドが打たれていったのだと感慨深くなることがあります。
平安貴族によって和歌が愛され、技術が洗練され、要求される知的水準が上がったことで、和歌を専門とする一族が出てきたり、学習に多くの時間・費用が必要とされるようになりました。しかしながら、その文化の担い手たちが社会の主役の座を追い落とされた結果、文化をさらに変革させるだけのエネルギーを生み出すことができなくなったではないでしょうか。高度化・複雑化するというのが外部環境に大きな変化が無い状況においては、ある分野を大きく発展させることができる一方で、どんどん外部環境の変化への対応力を失っていき、いずれちょっとした変化によって急激に衰退してしまうリスクがあるというのは現代にも通じるものがあるのではないかと考えています。






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