プリンシプルのない日本を読んで

今回の出張のお供に白洲次郎氏の著書を買いました。
白洲次郎氏といえば戦後の日本を支えた偉人ということで
このところ僕の周辺で何かと話題となっていましたので
是非とも氏の考えを知りたくて買いました。

で、読んでみて一番の感想は「疲れた~!」です。
何しろ、この書籍の90%が批判なんです。
悪い言い方をすると「老人の説教」です。
僕はどっちかというと常に批判される事が多い人間なので
こういった批判中心の本はとっても疲れます。
逆に老人の説教大好きだという人には絶好の本だと思います。

さて、この書籍の感想ですが
「その通り!」と思う事が半分、「そりゃ違うだろう」と思う事が半分でした。

まず、どこが「その通り」と思うかといえば、
この本に書いてある批判のほぼ全てです。
もうね、全ておっしゃる通りなんですよ。

しかも恐ろしい事に、50年前の日本を批判しているはずなのに
現代の日本に置き換えても、そのまま通用しちゃうくらいなんです。
役人が偉そう、だとか東電がロクでもないとか
「あれ?これって今年出版されたんだっけ?」と間違えるくらいに
指摘している対象が現代にもそのまま存在しているんです。

もう、コメンテーターとか批評家とかいらないから
「白洲氏曰く・・・」で最近の政治や社会の問題を批判すればOK
っていうぐらい物事を的確にとらえています。

じゃあ、どこが「そりゃ違うだろう」と思う所かと言えば
この批判が50年前だということですね。
戦後の日本社会を見て「プリンシプルのない日本」と批判した白洲氏ですが
そのプリンシプルのない日本が、その後の高度経済成長を経て
世界第2位の経済大国となり、一時期は「Japan As No.1」などと言われていたわけです。

ということは、日本と言う国は白洲氏のいうプリンシプルが無くても
かなりの成果を出してくる事が出来たわけですし、
この20年が停滞しているといったところで、
経済が破たんした訳でもないし、街に餓死した遺体が散乱しているわけでもないです。

つまり、現代を生きる我々は、白洲氏のいう「プリンシプルのない日本」を
今でも賛同して日本社会を批判するのではなく、
白洲氏の理解していないところでプリンプルがあるのではないか、
あるいはプリンシプルなんて無くても日本がやってこれているのはなぜか
というところを深く考えなければならいと感じています。

まあ、そもそも「プリンシプル」っていう言葉が日本で普及していないし
それにぴったりくる日本語も存在していないあたりに
そもそも日本にはプリシプルなんてないままに1500年くらい過ごしてきた
っていうのが僕の考えですけどね。

なんで、プリンシプルが無いという批判をする前に
プリシプルに代わる何が日本人の行動理念となっているのかを詳らかににして、
日本社会の理念に照らし合わせて正しい行いかそうでないかを批判することが
これからの日本を変えていけるのではないかと考えています。

ということで、「そりゃ違うだろ」というのは白洲氏の発言ではなくて
白洲氏の価値観を現代に持ってきて、現代社会を批判することに対して
「そりゃ違うだろ」と思ったわけでした。

2 件のコメント:

  1. はじめまして。
    「歴史好き」さんの記事おもしろい!!!
    私はちよっとだけ歴史好き(笑)。
    これからゆっくり読ませていただきます。
    「歴史好き」さん、ユニークなお方のようですね。

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  2. こめんとありがとうございます!

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