歴史上の人物の評価の問題点

大河ドラマの舞台となると大きな経済効果が期待できます。
だからこそ、日本各地で地元の有名人物を大河ドラマに
という誘致運動が日本各地で起きているわけです。

そんな中、今年の平清盛での観光客誘致を狙っている
広島県でのPR活動について気になる記事を見かけました。

大河ドラマ「平清盛」での地域おこしが決して一筋縄でいかないわけ

こちらの記事では平清盛が、これまで悪役として描かれてきており
視聴者が主人公に思い入れしづらいのではないか
という点について懸念しています。

そんな平清盛について、どう再ブランディングしていくか
については非常に興味深いのでウォッチしていきたいですが
なぜ歴史上の人物に善悪という色が着いたのか
僕の考えをまとめた上で、ブランディング案を書きたいと思います。

日本の歴史上の人物が善悪定かに描かれがちになる
というのは日本人の歴史認識への甘さではなく
それだけ日本人が歴史を好んでいることの表れだと考えています。

というのも日本史学においては
「司馬史観」なんていう言葉が使われるくらい
歴史認識に対する歴史小説等の影響が大きいのです。

そのため物語の主人公の側が善となり
それに敵対される側が悪となります。

ならば、いろいろな立場の小説が出来れば
善悪が固定しないのではないか?
という思いがあるかもしれませんが
ここにも日本人の歴史小説好きが
つよく影響してしまっています。

例えば、平清盛の晩年の『治承寿永の乱』
いわゆる源平合戦について考えれば
この乱の内容が平家物語として成立したのは
鎌倉時代中期頃ではないかと考えられています。

つまり現代において太平洋戦争を舞台に
物語を描いているような距離感です。

なので当事者も生存しているし、
伝承や物証等も豊富に残っているため
平家物語は物語といいつつも
歴史史料としても1級品の価値があるわけです。

そうすると後世の作家たちは
この時代の物語を書こうとするにあたって
独力で愚管抄やら台記やら殿暦といった
日記をベースに当時の状況を再構築するよりも
平家物語をベースに物語の骨格を作り
そこに伝承やら創作やらを織り込んだ方が
テンプレートを活用することによる効果で
読者が物語のあらすじや登場人物を理解しやすい上
その物語が特色として出したい部分も
くっきりと浮かび上がってきます。

平家物語をベースに作成された物語というと
室町時代に『義経記』という小説が作成され
『船弁慶』などの能のテーマにも重用されました。

江戸時代に入ると『義経千本桜』など
歌舞伎の演目としても多く取り上げられています。

となれば日本人は同じテンプレートを活用した
多くの歴史物語によって人の善悪を刷り込まれます。

結果、歴史上の出来事よりも歴史小説での出来事の方を
史実と錯覚して理解していることも少なくありません。

有名なのは「真田幸村」ですね。
この名前は難波戦記という物語で作られたと言われています。
彼のモデルとなった人物は
真田信繁というのが本当の名前です。
にもかかわらず江戸時代にはすでに
彼の事は真田幸村として記憶されました。

この真田幸村の件は日本人の歴史小説好き
に由来するもう一つの問題点を明らかにしています。

それは、オリジナルとなる物語の成立時期が
対象となる歴史イベントの直後だという事です。

中国古典として有名な三国志演義は
14世紀の明の初期に作られたもので
三国志の時代から1000年以上たっており
政治的圧力から自由な状態で執筆できます。

翻って平家物語は鎌倉時代ですので
平家を滅ぼした鎌倉幕府が力を持っていました。
そんな時代にはたして平家かっこいい!
なんて内容の作品が作れるでしょうか。

平家物語は平家が負ける話なので
敗者の側を悪く書く事も自然でしょうが
実は平家物語と同時期に成立した
保元の乱を描いた保元物語と
平治の乱を描いた平治物語も源氏視点なのです。

保元物語では親子に分かれて争う源氏
というのが主人公です。
そしてクライマックスは源義朝が
父親の為義を処刑するシーンなのですが
そのために清盛は叔父の忠正を処刑しており
清盛は完全に悪役です。

さきほどの真田幸村も大坂夏の陣で
徳川家康を追いつめた武将ですので
彼を主役にして軍記物を書くには
主人公を仮名にして架空の話だ
とエクスキューズをつける必要があったわけです。
同じような現象は忠臣蔵にもありました。

近代以降の話になると司馬遼太郎の影響が甚大です。
彼の小説は綿密な史料収集によって
歴史書ともいえるほど正確になっています。
なので彼がフィクションとして創作した部分や
彼の歴史観に多くの人がひきずられています。


で僕の意見ですが、日本人が抱いている
歴史上の人物に対するラべリングを変えるには
「実はこんな人でした」といった再発見よりも
これまでのテンプレートに従ったうえで
悪役の心情を深く掘り下げることで
「悪役だけど気持ちはわかる」
といった同調を読者に感じさせるような物語を
繰り返し作成していくことなんじゃないか
と思っています。

これには一つ良いサンプルがあります。
ガンダムです。
ガンダムでは悪役のジオン軍はあくまで悪役です。
そこに「実は良い人」なんていう描写はありません。

ただ、悪役であっても非人間的な悪役ではなく
内部で派閥争いがあったり出世欲があったり
リアルな人間として描かれています。

結果として、悪役であるにも関わらず
主人公たちよりも人気があるという状況になっています。

というわけで平清盛も無理やり
今までのラベルを変えるのではなく
曹操孟徳のような好かれる悪役を
めざしてみてはどうでしょうか。

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